企業価値の持続的な向上を図る上で、IR活動は必要不可欠なプロセスの一つとされている。新型コロナウイルス感染拡大以降は在宅時間が増えたことで個人投資家の数が大幅に増加。それに伴い、個人投資家向けIRの重要性が飛躍的に高まってきているという。
そんな中、興味深い動きを見せている会社がある。水道管事業を展開する1937年創業の東証一部上場企業・日本鋳鉄管だ。同社は2021年3月、投資家に向けたコーポレートブランディングを支援するリンクコーポレイトコミュニケーションズのサポートのもと、IR活動強化の一貫として「オンライン個人投資家向け説明会」を実施した。
日本鋳鉄管は米国のAIスタートアップ・フラクタと業務提携を実施するなど、老舗企業ながら先進的な施策を行ってきたことで知られている。そんな同社による今回の取り組みにはどのような背景があったのだろうか。日本鋳鉄管にて代表取締役を務める日下 修一氏とリンクコーポレイトコミュニケーションズマネジャー・一瀬 龍太朗氏に話を聞いた。
写真:多田圭佑
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自社の中長期的なビジョンを伝えるためにIRを強化
JFEスチールにて執行役員を務めていた日下氏が日本鋳鉄管(編集部注:日本鋳鉄管はJFEスチールの持分法適用会社)の代表取締役社長に就任したのが2018年のこと。社内事業の整備・強化に注力する必要性を感じた日下氏は業績回復に向けた様々な施策を講じることに加えて、「NCK3.0(第三創業期)」と銘打ち、コーポレートビジョンの刷新等のIR活動の強化に取り組んだ。
「上場企業という立場上、四半期毎の業績を達成することに加えて、株主様に対して自社の中長期的なビジョンを理解していただくための活動を行う必要があります。これまではプレスリリースを配信する程度にとどまっていましたが、今般、コーポレートサイトの刷新に加えて、noteを新たに開設。また、個人投資家向け説明会を開催するなど情報発信体制の強化に着手していきました」(日下)
実は、日本鋳鉄管では投資家向け説明会を実施すること自体が初めての試みだったという。金融商品取引法で公開することが義務付けられている有価証券報告書等についてはこれまで開示してきたものの、投資家向け説明会については一切行ってこなかった。「リンクコーポレイトコミュニケーションズさんに協力を仰ぎながら、投資家向け説明会の開催に向けて様々な試行錯誤を繰り返していきました」日下氏は当時の状況をこう振り返る。
昨今、「フェア・ディスクロージャー・ルール」の重要性が叫ばれているように、特定の人だけが情報を取得できるのではなく、広く平等に情報を開示することが上場企業の開示体制として望ましいとされている。この考えのもと、最近では統合報告書を公開する企業が増加している。「マザーズ上場企業ではまだそれほど多くはありませんが、上場企業の経営者からの統合報告書を出したいという要望は確実に増えています」一瀬氏は現在の状況をこのように語る。その背景には何があるのか。
「東証の再編を意識して少しでも“良い市場”に残ることを意識していることが要因の一つとしてあると思われます。そして、その実現のためには、通常の四半期毎の決算報告に加えて、“自社の未来がいかに期待できるものであるか”を投資家フレンドリーな形で語っていく必要があります。また、社会全体の流れとして応援すべき企業の定義が変わってきていることも重要なポイントです。どういうことかというと、業績が良いだけでなく社会にとって良いことをしている会社だから応援するという風に投資家の考え方がシフトしてきているのです。これは無視できない大きな変化であると個人的には捉えています」(一瀬)
IRに定まった“正解”はない
IR活動を行う上で参考にすべきガイドラインはいくつか存在するが、どのような情報をどのようなタイミングで公開すべきかについて“正解”は存在するのだろうか。この点について、一瀬氏は以下のように自身の見解を明らかにする。
「良いIRの定義は会社の事情によって様々に変化します。例えば、時価総額1兆円の企業とマザーズ上場直後の企業とでは求められるIRの水準はまったく異なります。また、ビジネスモデルによっても、BtoBなのかBtoCなのかで必要とされるIRの形は大きく変化する場合があります」(一瀬)
リンクコーポレイトコミュニケーションズの支援のもと、日本鋳鉄管は全社を挙げてコーポレートビジョンの刷新に取り組んでいった。このプロセスにおいて、「最も注力したのは社内の意識を変革することだった」と日下氏は振り返る。
「6ヶ月間にわたってコーポレートストーリーを徹底的に議論し、“自分たちは何者なのか(=コーポレートアイデンティティ)”をあらためて再定義した上で、中長期的なビジョンをどのようにして社外に発信するのかについて考えていきました」(日下)
「実務的には、統合報告書の“ライト版”を作成する要領でコーポレートストーリーの作成を行っていきました。その上で、オンライン個人投資家向け説明会の実施に向けて準備を進めていったというイメージです」(一瀬)
質疑応答では80もの質問が殺到
個人投資家向け説明会は2021年3月10日にGINZA SIX 12階のリンクコーポレイトコミュニケーションズのオフィス内のスタジオからライブ配信する形式で開催された。所要時間は約1時間。代表取締役社長である日下氏がプレゼンターを務める形で説明会は滞りなく進行した。
株主総会は形式的な側面が強く、質疑応答に関してはそれほど活発ではないケースが少なくない。一方、投資家向け説明会はそもそもコミュニケーションを取ることを目的としている。今回についてもリンクコーポレイトコミュニケーションズの助言を踏まえ、「質疑応答の時間を長めに設ける」ことを意識したという。
その結果、質疑応答では80もの質問が集まった。一瀬氏によれば、リアルの個人投資家向け説明会においては「まず考えられないような分量」だという。
「双方向の言葉のやりとりができるのがオンライン説明会のメリットだと実感することができました。時間内に答えきれなかったものは、note等で回答していきたいと考えています」(日下)
オンライン説明会の場合はメール等での質問の受付となるため、事務局側で事前に似通った質問を整理することができる。「スムーズな回答を維持しながら即時的な処理を行えるという利点もあるため、単なる双方向のやりとりよりもはるかに効率的」と一瀬氏はそのメリットを説明する。
「経営者の中には株主総会を嫌がる方も一定数いらっしゃるのですが、これは投げかけられた質問に対して回答することが義務づけられていることが背景としてあります。要は、質問されたら回避しようがないわけです。それはある意味では透明性が高い状態とも言えるのですが、ノイズになりかねない質問も実際は少なくありません」
「その点、オンライン説明会であれば企業側が適切な形でイニシアティブを取ることができます。具体的には、テキストで質問を受け付けて事務局が内容を確認した上で、『この質問は是非答えたい』というものにフォーカスして回答していきます。このプロセスを通じて、質疑応答のクオリティを大幅に底上げすることができます」(一瀬)
投資家のリアクションが可視化される利点
また日下氏によれば、オンライン個人投資家向け説明会で得られたもう一つの大きな収穫は、「参加した投資家の方々のリアクションが明確に可視化されたこと」だという。
この点について、一瀬氏は次のように説明する。
「弊社が運営するオンライン個人投資家向け説明会『IRダイアログ』の一番の特徴は、リアクションボタンで視聴者の共感状況の可視化・分析を行うことができる点にあります。参加者からのフィードバックを得る上で、参加者にアンケートを記入してもらう方法もあるのですが、『社長が元気があって良かった!』といった総論すぎるフィードバックしか得られないことも少なくありません」
「当然ながら、解像度の高いフィードバックを集めなければネクストアクションにはつながりません。その点、『IRダイアログ』を用いたオンライン説明会ならデータドリブンな方法で解像度の高いファクトと共にPDCAを回すことができます」(一瀬)
今回、自身のプレゼンテーションに対して投資家の方からのリアクションがリアルタイムで得られたことは「非常に大きな収穫であり衝撃でもあった」と日下氏は手応えを語る。
「どの説明をした時に視聴者の方々からの反応が良いかをリアルタイムで正確に把握することができました。実際、『へえ!』『なるほど!』などのリアクションがスライドごとに表示されるのはある意味では恐ろしいシステムだと思います(笑)今回は、『Game Change』というキーワードでチャレンジングな取り組みを行っていくことを提示しましたが、ネガティブな反応が少なくて、正直、ほっとしています」(日下)
「未来をつくる企業のチャレンジを応援するために、将来何か起こりそうだという“期待”に対して投資する流れを積極的につくっていく。そうすれば、この国はもっと豊かになれると思います」一瀬氏はこう語る。その実現のためには今後何が求められるのだろうか。
「日本企業は経営の“思い”を伝えるためにもっと努力する必要があります。最近では、投資家とのコミュニケーションを社員や顧客といったステークホルダーが気にするようになってきており、採用候補者が応募先企業の統合報告書を確認してから面接に臨むなどの流れも実際に生まれています。企業価値の最大化を目指す上で、IR活動は極めて重要な要素の一つであるということを多くの方々に認識いただければと考えています」(一瀬)
「リンクコーポレイトコミュニケーションズさんのご尽力あってのことですが、全国各地の1100人もの投資家の方々にオンラインで説明会に参加していただいたのは驚異的なことだと捉えています。約7割の方々は弊社の名前を聞いたこともなかったとのことでしたが、そんな方々が弊社に対して興味を持って参加していただいたという事実は本当に素晴らしいこと。応援していただく以上はご期待に沿えるようなしっかりとした結果をお返ししなければなりません。そのためのあらゆる経営施策を社員一丸となって講じていきたいと考えています」(日下)